2010年6月20日日曜日

経済成長とはなにか―経済システムを理解するための簡単なレッスン―

色々書きかけで申し訳ありません。僕の癖なので、たぶん一生なおりません(笑)。
最近の僕の関心が、消費税増税問題に向かっていました。で、消費税増税でどのような怖ろしい事態が起こるのか、きちんとシミュレーションを示しておこうと思った。のですが、この問題の根本に、一般人のみならず、経営者、そして経済学者の、経済というものに対する根本的な無理解があることに気づきました。はっきり言ってしまえば、彼らが経済とはどういうものなのか、まとまったイメージができておらず、全体像をまったく把握していないのが問題なのです。
たとえば、消費税を増税することに経営者や経済学者の大部分は賛成しています。だけど、消費税を10%に増税しても日本人の給与の総額は変わらないので、個人消費が4.5%落ち込むことは確実です。たとえば、私の月給が10500円として、そのお金で1万円分のモノを今は買えます。ですが、消費税を10%にすると、9545円分しか使えなくなります。
僕は、消費者が単に損をします、といいたいのではありません。そうじゃなく、個人消費が4.5%おちるということは、消費者にモノを売っている企業、サービスを提供している企業、それらの製造業、物流業まで、全体として売り上げが自動的に4.5%下落するということを意味しているのです。そして、驚くべき事に、その事実を指摘している経済学者や経営者が、少なくとも表立ってはほとんどいないのです。はっきり言わせてもらいますが、彼ら、朝三暮四の猿※より頭悪いです。

結局、この問題は、経済を循環するシステムとして理解できていない、ということに帰着するのではないかと思うわけです。だから、消費税を「消費者が負担するお金」としてしか考えられず、それが企業の売り上げにどのように影響するのかも想像ができない。
また、今、法人税減税と消費税増税がセットになって景気回復のためのパッケージとして提示されているのは、法人税増税が企業の利潤を低下させるから経済成長を阻害するのに対し、消費税は消費者からお金を取るため経済成長を邪魔しない、というのが彼らの暗黙の前提だからでしょう。言い換えれば、経済学者や経営者・政治家たちは、経済成長とは企業が利潤を最大化することだ、と考えている。
でもそれははっきり間違っています。経済成長とは、生産→分配→消費(→生産・・・)の循環を強化し、その速度を高めることです。そして企業の利潤を最大化することが経済成長に繋がるのは、インフラを整備する高度経済成長期や、政治的・経済的植民地を拡大し続ける帝国主義的時代など、経済のパイが拡大しつづけているごく一部の特殊な条件においてのみです。多くの成熟した経済システムにおいて、公平な分配がされていないということは、経済を停滞させるどころか、その規模を縮小させる自滅的な行為なのです。本稿では、ぜひ皆さんに、そのことを理解してもらいたいと思います。

「経済成長とはどういうことか」を、もっとも簡単なモデルで説明します。僕とあなたが小石100個と1000円を交換する閉鎖的な経済システムです。全世界には、僕とあなたと小石と1000円札しかないと考えてください。小石じゃ意味が無いと思うなら、フライドチキンでもマックナゲットでも構いません。

まずあなたが小石を100個持っていて、僕が1000円をもっています。それを一日に一度交換するとしましょう。まず、僕が小石を100個もらって、1000円札を渡します。次の日、あなたの小石と私の1000円を交換します。さらに次の日、私の小石をあなたの1000円と交換します。一ヶ月が30日だとすると、私とあなたの月収はそれぞれ15000円で、そのお金で小石をそれぞれ1500個買えました。この2人きりの経済システムの月間GDPは30000円です。
さて、このGDPを二倍にするにはどうしたらいいでしょうか?千円札の代わりに、今は影も形も見られない2000円札(あれ、そういえばほんとどこに消えたんだろう?w)を導入してもあまり意味はないですよね。小石の値段が変わらなければ2000円の半分しか使えないし、小石の値段が半分になれば、実質GDPは変わらない。なので、小石の量も二倍にする。それが普通の答えかもしれません。
でも、もっとシンプルな解決法があるんです。1日に1回交換していたのを倍の速度にして、1日に1往復交換する。つまり、私が今日小石を売って、同じ日に買い取る。そうすると、月収がそれぞれ30000円で、そのお金で3000個の小石が買えたことになります。動いているお金が1000円札1枚であることには代わりありません。でも交換速度が倍になったことで、経済規模が月間GDP30000円から60000円と、2倍になったのです。

えっと、論理的に一番シンプルなモデルにしたため、登場人物をふたり、商品を一種類にしました。まあ、ほんとのことを言えば、商品が1種類しかないなら、交換することに意味はないですよね。でもイメージがつかめれば良いんです。商品を2種類にしても一緒です。私がマックナゲット生産者で、あなたがハーゲンダッツやさん。で私はハーゲンダッツが大好きで、あなたがマックナゲット大好き。今日マックナゲットをあなたに売って得たお金で、次の日ハーゲンダッツを買う、という交換速度を倍にして、今日すぐにハーゲンダッツに使っちゃお☆ってことにしちゃうと、お互いに収入が倍になって、しかもハーゲンダッツもマックナゲットも、2倍食べれますよね。
ともあれ、経済とは、生産して、分配・交換して、消費する、そのサイクルだということが理解してもらえればそれで良いです。そして、経済規模が思ったより増えない、あるいは落ち込む場合、その経済システムのサイクル(再生産構造)のなかで、どこがボトルネックになっているのか、それを考えなければいけない。それも、なんとなくイメージしてもらえるのではないかと思います。
最初モデルに戻ります。わたしがお金が好きなので、できるだけ手放したくない><って思って、私がお金を持つターンでは、2日間滞留させるとします。そうすると交換が往復するのに3日かかることになるので、それぞれの月収は10000円、小石は1000個、月間GDPは30000円から20000円と、33%落ち込んじゃいました。ここで面白いのは、この経済の落ち込みの原因は私の強欲にあるわけですが、みんな(って2人ですが(笑))が等しく損をするってことです。僕の強欲は、単にお金を持ってるターンを長くしただけで、ぜんぜん自分の得になってません。なので、こういう場合、必要以上に長くお金を持てばレッドカードを出すとか、逮捕して監禁しちゃうとか、そういうことをすれば、経済は回復します(笑)。

さて、僕の強欲が、経済システム全体の成長にとってプラスの結果を生み出さない、という話をしましたが、もっと現実に即した強烈なお話しをしましょう。私がこのシステムで、自分の利潤の最大化を目指したらどうなるのか、をシミュレーションしてみます。私(ジャイアン)はあなたより力が強くて傲慢、あなた(のび太)は力が弱くて優しいと仮定します。(あ、あくまで仮定ですよ。)なので、この力関係を反映して、私があなたに売るときは小石100個で1000円、あなたが私に売るときは小石100個で500円とします。私が最初小石を100個もっているため、あなたが1000円で小石100個買います。次の日私はその100個を500円で買います。私はいま手元に、小石100個と現金500円があるので、500円タダで儲けた計算になりますね♪すばらしい成果です。
でも、次の日からなんだか雲行きが怪しくなります。あなたは500円しかもっていないので、次の日、小石を50個しか買えないのです。私の手元には、小石が50個、現金が1000円あります。その50個を、翌日私は250円で買い取ります。さらに次の日、あなたは250円しかもってないので、25個しか買えません・・・・。こうやって、私が儲けた分、交換は半分ずつ縮小していくのです。
ここでそれぞれの月の収入を考えてみましょう。私の月間の収入は、1000+500+250+125+62.5+31.25+・・・≒2000円で、小石が100+50+25+・・・で200個買える。あなたの月間の収入(つまり私の支出)は500+250+125・・・≒1000円で、最初の手持ちの1000円とあわせて、小石を200個買ったことになります。このシステムでは、私はあなたの倍儲けたことになります。
ですが、あれ?私はほんとに儲かってますか!? だって、公平な交換のシステムだったら、私はもともと15000円の収入があったし、小石だって1500個も買えたんですよ。なのに、私が強欲を出して儲けようとしたとたん、7.5分の1の収入になっちゃいました><。システム全体の月間GDPで見ても、3000円なので、経済規模は10%まで落ち込んでます。
で、さらに悲惨なのは翌月です。不公平な交換を繰り返したので、その前の月までに、私の手元には小石が100個、1000円、ほとんどもってることになります。それに対し、あなたは事実上一文無し、鉄鎖の他には所有するモノがなにもない完璧なプロレタリアートです(笑)。でも、なにもないってことは、交換ができないってことです。なので、次の月には、経済システムそのものがもうなくなっちゃってます(笑)。
まあ、さすがにそうなると、僕も困っちゃうので、いくら頭が悪くても、どこかで気がついてもうちょっとマシな解決策を探って生き延びようとするでしょう。たぶん、どこかで僕が売る小石の値段を少しずつ下げて、できるだけあなたに買って貰おうとするでしょう。まあ、最初から小石100個500円で売ってたらいいのですが、そうすると、自分の交換とあなたの交換とが同じ条件になっちゃう(笑)。「そんなことしたら儲からないじゃないか、儲からなければ経済は発展しない」と思い込んじゃってるので、やっぱり有利な条件は維持しようと思って、「100個750円」ぐらいまで値段を下げて様子見をするんじゃないかと思うわけです。もちろんデフレが起きますし、それでも売れないので、交換速度がどんどん落ちていきます。面倒なので厳密なシミュレーションはやめときますが、破滅までは行かなくても、経済規模が大幅に縮小するのは確かです。
結局なにが問題なのか。それは交換の際に「相手に充分にお金を渡していない」ことです。言い換えれば、自分が儲けた分、相手はお金が減っていくから小石が売れないのです。そうなってから、どんなにがんばってセールスをしても、小石に綺麗なラッピングをして相手の気を引きつけても、無駄です。相手がどんなに小石が欲しくても、買うお金がないんですから(笑)。だから、私は「公正な交換をしないと結局自分が損をする」、「自分だけが利潤を最大化しようとすると経済システムが破壊される」っていう根本的な事実に気づかないといけないのです。

現実の経済システムに関しては、もうちょっと(っていうかはるかに)構造が複雑です。生産設備を生産したり、税金があったり、あるいは銀行システムがあって、利潤や貯蓄が他の部門に投資されたり。だけど一般化していうと、この生産→分配→消費というサイクルこそが経済システムであるという事実には代わりありません。それさえわかっていたら、経済学者がいまメディアで言ってることの大半が、さっきのモデルの「儲けようとして経済を壊した僕」と同じぐらい、頭がおかしいことが理解できると思います。たとえば、内需が足りないから需要創出イノベーションしなきゃとか言ってる人がいますが。企業が支払う給与総額が一定なのに、供給側の努力で内需が増える余地などないし、少なくともゼロサムゲームで消費のパイを奪い合うだけなのが、どうしてわからないのでしょうか。
それとか、消費税増税で年金不安が解消されて、消費が増えるからデフレが解消する?(笑)とか。解説は不要だと思いますが、あまり馬鹿な事を言うのもほどほどにしてもらいたいな、と思います。
とりあえず、本稿で日本経済にかんして私がここで言うことは一つだけです。唯一有効な経済政策とは、経済システム全体の循環の中で、一番弱いところ、もっとも滞っているところ、そこを強化したり流れをよくしたりすることで、全体の流れをよくすることです。現在の日本の経済システムのサイクルの中で、ボトルネックになっているのは個人消費です。より厳密に言えば、企業から労働者への貨幣流通チャンネル、つまり給与の支払いが抑制されている事が根本的な原因です。そして、この根本的な原因は、サービス残業という名の不払い労働です。サービス残業で企業が労働者に違法に払っていないお金は年間50兆円近く、GDPの1割に達しています。それだけ払っていなければ、お金が経済全体に回るわけがありません。
というと、「そんなに払ったらほとんどの企業が倒産する」とかいうひとがいますが、経済が循環するシステムであることさえ理解出来れば、その50兆円の大部分がさらに企業の売り上げになり、企業の業績も大幅に向上する、(そして労働生産性も大幅に向上する)ことがたやすくわかると思います。逆に、企業が外需などでどんなに儲かっても、それを不払い労働の強化によって対処し、労働者へ全く還元しようとしない現状では、経済の自律回復など望むべくもありません。
サービス残業が日本の経済と社会にどのような影響を与えるのかは、またそのうち稿を改めて、きちんと説明したいと思います。ともあれ、今回は「企業による利潤の最大化」という経済学者・経営者の暗黙の前提こそが、じつは経済を縮小させる最大の原因なのだ、ということだけ理解していただければと思います。

※朝三暮四 もちろんみなさん知ってるかとは思いますが、確認のため(笑)。非常に猿と戯れるのが好きな男がいた。この男は家族のことも放っておいて、猿を可愛がるものだから、餌の時間になるといつも猿が寄ってくる。ところが、それが原因である日、奥さんに「猿の餌を減らしてくれないと、子供たちの食べる物までなくなってしまう」と窘められてしまう。困った男は何とか猿たちを籠絡しようとし、一斉に呼びかけた。これからは「朝には木の実を三つ、暮(ばん)には四つしかやれない」と告げるも、猿たちは皆不満顔。それならば「朝は四つ、暮は三つならどうだ」と言うと、合計七つと変わらないにも係わらず猿は皆、納得してしまったのである。

2010年6月7日月曜日

菅直人首相への公開書簡

先ほど、菅直人首相にメールを送付いたしましたしたので、全文アップいたします。あ、ちなみに、面識はありません。

 

件名 消費税増税は恐慌と財政破綻を同時にもたらす可能性があります。ご再考ください。

菅直人首相。

はじめまして。
社会システムの研究をしている、岡田直樹と申します。

鳩山首相の就任以来、民主党を強く支持しており、
また「最小不幸社会」という菅様の理念に強く賛同してきました。

まずは首相就任おめでとうございます。
鳩山首相の立案のもと、小沢氏と三人で見事に「クリーンな民主党」というイメージを、
マスメディアを逆利用して作り上げることに成功したことを、素直にお祝い申し上げます。

そうすると、当然参議院選挙に向けて次の一手は、「企業献金の全面禁止」をマニフェストの中心に据えることになるかと思います。
党内で反対もあろうかと思いますが、首相の手腕を期待しております。


ところで、5月8日の「責任」と題された文章を拝読しました。
確かに、国家財政の問題は非常に深刻な状態にあり、早急に対処が必要です。
しかしその対処法として、消費税増税は、考えうる限りで最悪の選択肢であり、大恐慌と財政破綻を同時にもたらしかねないことを、菅首相には理解していただきたく存じます。

経済システムは、単純化すれば、生産-分配・交換-消費(→生産・・・)サイクルによって成り立っています。
そのサイクルが滞れば、経済は停滞し不況に陥ります。
各種経済指標を見ていると、現在の日本経済のボトルネックは明らかに個人消費です。
その原因は、企業がサービス残業という名の不払い労働を年間40兆円以上に拡大させ、
労働者から消費する時間とお金を奪い、非正規雇用を拡大させることにより、給与総額を抑制しつづけたことです。
このボトルネックを放置しては、日本経済の自律回復はありえません。

消費税を増税するというのは、この個人消費を締め付ける行動です。
消費税をさらに5%アップすることは、給与総額は変わらないので、単純計算で個人消費を4.5%縮小させます。
この消費部門の低下は、生産部門など、他の分野に波及し、連鎖倒産・恐慌を引き起こしかねません。
そうなると、財政収入は思ったより伸びないどころか縮小し、さらに大規模な財政出動を余儀なくされます。
正確なシミュレーションが必要となりますが、最悪のシナリオでは大恐慌と財政破綻が同時に起こるというシナリオまでありえます。
そうなると、日本の経済も社会も、完全に死滅します。
前回、1997年に消費税を増税した後、恐慌になり、、財政出動を余儀なくされ、
かえって国家財政が大幅に悪化したことを考えてください。

繰り返しますが、国家財政の均衡化は非常に大きな課題であり、
それに対して首相が責任感を感じていらっしゃることを、私は嬉しく存じています。
ただ、増税は、経済システムのボトルネックとなっていない余剰部分から取らなければ、
悲惨な結果を生み出してしまう、そのことを日本のためにも、もちろん菅首相のためにも、ご理解いただきたいのです。

なお、このメールは、公開書簡として、私のブログにアップさせていただきます。
あらかじめご了承ください。
http://ishtarist.blogspot.com/
お返事をいただけるのでしたら、その際、ブログへの公開・非公開の可否もご指示いただければと存じます。

大変なご多忙の中、恐縮ではございますが、ご検討いただければと存じます。

2010年6月4日金曜日

政治的決断について。その1

鳩山首相のために

昨日、鳩山首相が退陣表明を行いました。鳩山さんについて、とりわけ普天間問題の県外移設という約束を守ることができなかったという点から、政治家としての資質を問うような言説が流布されています。だけど、僕個人の感想としては、これほどまでに、政治的戦略、そして政治的決断というものの意味を理解している政治家を日本で見たことがありません。他人を思いやり、理想とヴィジョンを語り、なおかつ政治的戦略というものを理解している。彼はオペレーションズリサーチを専門とする理系の研究者でで、スタンフォード大学の博士号を取得しています。そのような偉大な政治家をこのような形で失うことは、僕にとって、そして何よりも日本の将来にとって、あまりにも大きな傷手です。

なぜ、一貫して普天間問題の海外移設を希求してきた鳩山さんが、自らの職を賭してまで日米合意を最優先したのか、その真意は、今の僕には充分に推し量ることができません。私たちが得られる情報から推定するならば、普天間代替移設の海外移設を強行に求めてグアム移転を先延ばしにするよりも、むしろグアム協定で規定されている海兵隊の移転の履行とより一層の負担軽減策により、沖縄の受苦を実際に少しでも和らげる道を取ったのだ、ということでしょう。言い換えれば、名にこだわるより、実を取ったということです。

だけど、それだけでは説明がつかないような何かもまた、存在する気もします。私たちが知ることができない安全保障上の問題があって、そのため現在、日米同盟を最優先せざるを得なかった。おそらくそれは韓国の哨戒艦沈没事件と深く関わっている、そのことを鳩山首相の一連の発言は、強く示唆しているように思えてなりません。

 

いずれにしても、彼の判断がいかなる政治的・権力的・暴力的文脈の下でなされ、どのような意図や戦略があり、またその判断が適切だったのかについて、現時点で僕はこれ以上述べることができません。たぶん、鳩山さん自身が、そのうち自らの言葉で語ってくれるのを待つしかないのでしょう。

5.28日米合意が、微妙ながらアメリカ政府に譲歩を勝ち取っていたにしろ、辺野古という文字が記されてしまったということ、それは抗いがたい事実です。ですが今や、これを鳩山首相自身の意図(裏切り)に問題があった、あるいは資質に問題があった、という非常に幼稚な政治的見解が幅をきかせています。また連立与党の一部の政治家が連立を離れ、倒閣運動を起こすに至っては、彼女たちもまた、単なる主体の意志によって政治的決定が可能であるかのような、観念論的でナイーブな政治感覚を持っているように私には見えた。(僕の思い込みだったら本当にごめんなさい。)だけど、政治的判断とは、単に正しい/正しくないという次元で行われるべきものではない、政治的決断というものは、単にできる/できないとかそういうものではない、と僕は声を大にして言いたいのです。少なくとも、意志によって政治的な決定ができると信じている政治家が、実際に首相の地位にあったとして、鳩山さん以上のことができたかどうか。僕にはとてもそうは思えません。ヴィジョン・目標があったとして、それにむけてどのように戦略を練り、真意を気づかれぬように隠微に行為し、場合によっては相手の弱点を突き、自分の要求を相手にのませるか。そうした非常に高度な戦略的思考をもって相手に対峙して、それでもなおかつ負け、譲歩を強いられることがある。まして、安保マフィア・官僚・マスコミ・党内の反動派・そして国民の集中砲火を浴びている状況で、なおかつ前進しつづける、それがどれほど困難を極めることか。それでもなおかつ、前を向いて歩み続け、身を引くことによって、日本国民を護りながらさらに前進しようとする鳩山首相の政治的決断に、僕は心から敬意を表したいのです。

断言してもよいですが、日本で最も、普天間代替施設の海外移設のために努力してきたのは、鳩山首相です。そして、それでもなお、日米合意に現段階で「辺野古」という文字を記さなければならなかった、そのことに日本で最も責任を感じ、また鳩山首相を責めているのは、鳩山由起夫さん自身だと、僕は確信しています。だからこそ僕は、この文章を彼に捧げたいのです。

他者の政治哲学へむけて

5.28をめぐる情勢と、その後の首相の退陣という、政治戦術的にも僕の心境としても、非常に複雑な状況において、政治的決断とはいかなることなのか、それを現在の文脈とは切り離して、一般論として語りたい、ここ数日そう思っていました。それが、今僕がこの文章を書いているモチベーションです。だけど、僕が言いたいことを、簡潔に説明するのはとても難しい。あるいはそれは、「政治的決断には根拠がない」、あるいは「政治的決断とは、正しい/正しくないの問題ではない」、とひとまず要約できるのかもしれません。だけど、それは盲目になることでもなければ、相対主義的に自己正当化するものでもない。むしろ、政治的決断は、決して自らを正当化することができない、だからこそ決断はなさねばならないのだ、ということです。

たぶん、私が「政治的決断」という言葉で言わんととしていることを本当に理解してもらうためには、「政治」と「決断」という切り離しがたい概念それぞれについて、私の考えを説明しておく必要があるでしょう。

「政治」とはいかなることか。ご存じの方もいると思いますが、ある種の―おそらくは20世紀で最も有名な政治哲学者の―議論において、「政治」あるいは「公共性」とは、他人と共通世界を作り、その中で自らの独自性を証し立てていくこと、と定義されています。そうした行為に意味があるのか、あるいはそもそも原理的に可能かどうか、ということはさしあたりおいておきましょう。だけど、この定義だと本来、別に労働者が仕事終わったあと、パブで野球を見ながら監督論に花を咲かせても、あるいはサラリーマンが居酒屋で職場の愚痴を言っても別に構わないでしょう。その政治哲学者がどう言おうとそんなことはほとんどすべての人間がそれぞれの場所で常にしていることです。でも、そんなものを人は普通、政治とは言わない。少なくとも、政治的であると言われる組織に本質的な何かしらが、その定義からは導き出せない。共=現前という「政治」概念の定義においては、まさに政治の政治たるゆえんが完全に欠如しています。

実際の政治というものは、全く正反対の事柄です。ある組織、たとえば政党や国会、官僚機構などがすぐれて政治的組織であるのは、それがその場にいない人間、その場に現前しえない人間の生活や苦しみ、そしてさらに言えば生と死を左右するほどの影響があるからに他なりません。それは、単に国会議事堂の物理的限界によって数千人以上の人間がそこにどうしても集まれないから、あるいは数万人の人間が同時に話し合うことが事実上不可能であるから、代理として国会議員に決めて貰うしかない、というだけの理由ではありません。たとえば政治的組織は、地球の反対側の災害支援を決定すること、冤罪で死刑になった人の無念の思いを聞き届けて取り調べを可視化すること、あるいはあるいは今後生まれてくる人間に十分な生活保障基盤を与えること。政治組織は、そうした諸々の空間的・時間的・社会的他者の生死に直結する事柄を決定するのです。

逆に、たとえば先の政治哲学者が国会議員になったとましょう。彼女は自分の仕事を、自分のアイデンティティーを証して永遠に名を残すことであると考えており、またその場に現れえない労働者たちを動物として、心から侮蔑しています。彼女が具体的に何をするは知りませんが、自分の名をあげるためだけに、労働者を徴発し、他国と戦争を起こしてもおかしくはない。でもそんな自己中心的な政治観念と傲慢な耳をもつ人間は、是非とも選挙で落とさなければ、社会に非常に有害な結果を招くことだけは確実なように思われます。

政治とは、より正確に言えば政治性の本質とは、他者のために行為すること、そのただ一点にあると僕は考えています。たとえ国民の多くがマスコミに流されやすく、自分で思考する能力が奪われていて、心の中で軽蔑したくなったとしても、それでも彼ら彼女らの幸福を願い、不幸を軽減する道を実現せんとする、そうした想いを失ってしまった瞬間、その人は政治家であることをやめなければならないと思うのです。

先の政治哲学者、ハンナ・アーレントの議論を僕は「現前の政治哲学」と呼んでいますが、その本質的に差別主義的な企て(僕は彼女は本質的にレイシストだと確信しています)とは全く逆方向をむいた、「他者性の政治哲学」を紡ぎ出さなければならない。こうした試みは、デリダおよびレヴィナスの議論と精神を継承することです。私が上に述べたこと、そこにすでにデリダの重奏低音を聴き取った人も多いことでしょう。ですが、デリダの脱構築やレヴィナスの他者論は、一般になぜかある種の相対主義・虚無主義や、ユートピア的な議論であると理解されています。でもそうじゃない。彼らの語る政治や社会とは、まさに私たちがいまこうして紡ぎ出している政治や社会のことを語っているのだということ、そしてこれこそが、実践的な戦略的思考と戦術的行動、そして政治的決断を呼び覚ますのだということ、そのことを私は、自分のいまここの責任において、自らの言葉であなたに伝えたいと思っているのです。

 

続きは稿を改めます。

2010年6月2日水曜日

内田樹「鳩山首相の辞任について」

またブログにアクセスできないようなので、マイミク内田樹さんのmixi日記から転載します。必読です。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1503638862&owner_id=932249

 

鳩山首相が辞任した。
テレビニュースで辞意表明会見があったらしいが、他出していて見逃したので、正午少し前に朝日新聞からの電話取材でニュースを知らされた。
コメントを求められたので、次のようなことを答えた。
民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。
結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。
エスタブリッシュメントとは「米軍・霞ヶ関・マスメディア」である。
米軍は東アジアの現状維持を望み、霞ヶ関は国内諸制度の現状維持を望み、マスメディアは世論の形成プロセスの現状維持を望んでいる。
誰も変化を求めていない。
鳩山=小沢ラインというのは、政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で、共通するものがあった。
言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て、自主的に防衛構想を起案する「自由」、官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」、マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。
その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも、国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。
彼ら「抵抗勢力」の共通点は、日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。
鳩山首相はそのような「自由」を日本人に贈ることができると思っていた。しかし、「抵抗勢力」のあまりの強大さに、とりわけアメリカの世界戦略の中に日本が逃げ道のないかたちでビルトインされていることに深い無力感を覚えたのではないかと思う。
政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。
中曽根康弘・小泉純一郎という際立って「親米的」な政治家が例外的な長期政権を保ったことと対比的である。
実際には、中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ということについてはリアリストだった。彼らの「アメリカを出し抜く」ためには「アメリカに取り入る」必要があるというシニスムは(残念ながら)鳩山首相には無縁のものだった。
アメリカに対するイノセントな信頼が逆に鳩山首相に対するアメリカ側の評価を下げたというのは皮肉である。
朝日新聞のコメント依頼に対しては「マスメディアの責任」を強く指摘したが、(当然ながら)紙面ではずいぶんトーンダウンしているはずであるので、ここに書きとめておくのである。